ウエスタンブーツのブランド(フライ、テキサス、アクメ)

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ウエスタンブーツのブランド紹介です。
今回はFRYE(フライ)、texas(テキサス)、ACME(アクメ)の3つのウエスタンブーツメーカーについてですね!

FRYE(フライ)
1863年に創業。
アメリカの歴史とともに成長した最古ともいえるウエスタンブーツの老舗メーカーです。
1968年に、ゆとりのあるトゥと厚みのあるヒールが特徴である「フライブーツ」を発表してるんですね。
このフライブーツが評判となり、世界的なブーツメーカーえと成長。
さすがウエスタンブーツの最古の老舗だけあって、最高級の素材と、匠の技術により、丈夫で高品質な製品作りが行われていて、現在でも多くのこのフライのブーツ愛用者がいるようです。

texas(テキサス)
その名の如く、アメリカのテキサスブランド。
ウエスタンブーツはもともとアメリカのテキサス州が発祥とも言われているので、ウエスタンブーツ関係でtexasの名が出てきても当然でしょうね。
テキサスは、全工程、材料をUSA製として、コダワリを第一にとっているようです。
最近では、ジャスティン、トニーラマなどの有名なウエスタンブーツブランドでもメキシコやブラジル、はたまた中国製などが多くなってきているようです。
が、コレも時代の流れですね。
ですが、時代に流されずにテキサスのウエスタンブーツはUSA製を拘っているようです。

ACME(アクメ)
テネシー州で40年代から安価なコストパフォーマンスのもとに生まれたウエスタンブーツブランド。
その当時では、高級なカスタムメイドのブーツを購入することが出来なかった人たちに絶大な支持を受けて広がっていったようです。
Dingoなど、有名レーベルを多数持ち、様々な合併吸収を繰り返して2002年にウエスタンブーツの大手ブランドであるダブルエイチ社に傘下として買収されました。


ウエスタンブーツのブランドも様々ありますが、やはり時代とともに進んできたというのがわかりますね。

リアルな話なんですが、やっぱ事業拡大していくとその分生産コストなどに影響が出るんでしょう。

手製が売りのブーツ屋さんも大手に成長したら工場生産で大量生産みたいな、、、

まー大きくならなければこうして有名になれるワケでもないしそれもいいと思うけど、何かコダワリみたいなのがあるとさらにいいですよね。

おまけ

ユーズドなんですがなかなかよさげなtexasウエスタンブーツ


あぁーリンク切れ起こらないことを祈りたい(笑

ルケーシーのウエスタンブーツ

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ルケーシーのウエスタンブーツについて学びましょ!!

ウエスタンブーツの聖地、テキサス州はアメリカ、そんなアメリカで有名なのがルケーシーのウエスタンブーツ・

日本ではトニーラマがウエスタンブーツとして位置付けられていますが、本場アメリカンでは、その完成度の高さもありルケーシーのウエスタンブーツはほかのブランドよりも高級なウエスタンブーツのメーカーに位置付けられています。

それは、ルケーシーのウエスタンブーツに使用する革に対する拘りですね(どこのブランドも拘ってますけどね、、、

独自の仕入れルート、自社の養殖場を世界に持っており、蛇やオーストリッチ、クロコ、スティングレーなど、エキゾチックスキンをマテリアルとしてルケーシーのウエスタンブーツに使用しているようです。

中でもスティングレーはスリランカ沖で取れるエイがウエスタンブーツに向き、良質とされてましたが、最近のジャワ島沖地震によりエイが取れなくなったそうです(汗

普通の会社なら、ここで他のエイを代わりに使用するのですが、ルケーシーのウエスタンブーツではここに拘っているようです。

地震の後はどうなったのかは知らないですが、スリランカ沖でのエイが取れるまでルケーシーはスティングレーの革のウエスタンブーツは作らなかったようです。

生産を停止させるほどの革なんですね!


実際僕もスティングレーの革を使った財布を持ってるのですがなかなかステキです。

と言うか若干グロイんですけどね(笑


もちろんですが、スティングレーのみならずルケーシーのウエスタンブーツはこだわりが強いです。

本場アメリカの人も唸らすウエスタンブーツを数多く製造したのも頷けますね


ルケーシーのウエスタンブーツの歴史
1880年にサムルケーシーとその弟がイタリアからアメリカへと移民。アメリカンドリームを求めてですかね

その時のサムルケーシーは16歳で、今ではウエスタンブーツの聖地とも言えるテキサス州サンアントニオで靴の修理店で働いていたようです。

ルケーシーの家系と言えば、イタリアで800年(すごい!)もの歴史がある靴職人の家系だったようです。

まさに必然的な運命でしょう。

先祖代々引き継がれてきた技術が血ににじんでるんでしょうね。

その後に他の4人の兄弟もイタリアから移民してきて、この事を気にルケーシーはブーツショップを立ち上げたようです。


ルケーシーが立ち上げたブーツショップは、この時の主な仕事は騎兵隊のブーツ作りや修理。

その後も十年ほど軍隊の仕事に従事し、サムルケーシーは軍隊の注文のブーツを作っていきます。

その間に兄弟たちはバラバラになり、死亡したものもいたものの、サムルケーシーはブーツ作りを頑張ってました。

一日35足と限界のある生産でしたが、時代が時代、ウエスタンブーツなどの専門的なブーツショップは沢山あり競争がはげしかったようです。


この頃、サムルケーシーの息子、カシモルケーシーが登場。(まぁ仕事の手伝いと考えれば、、、

ウエスタンブーツは競争の的、しかしただ作るだけでは、カシモルケーシーは納得がいかないようでした。

カシモルケーシーの考えでは、ルケーシーのウエスタンブーツを有名にするには、品質管理が最重要との考えがあったようです。

このお陰もあってか、現在でもルケーシーのウエスタンブーツは随一の評価を得ているんでしょう。


ウエスタンブーツのルケーシーの凄いところは、ルーズベルト大統領、ウィルロジャース、ジョンウェイン、リンドンジョンソン大統領、そして故郷でもある英国王室を顧客に抱えていたことです。

しかし、評判の割りに顧客の獲得に伸び悩むルケーシーのウエスタンブーツは、息子が他メーカーで働くと言った状態でした(苦笑


ルケーシーのウエスタンブーツは、70年代にブルーベル、ラングラーの子会社に売却しました。

その後も、ルケーシー(ちょうどサムルケーシーからの孫にあたるんでしょうか)は、アドバイスやアイディアを提供。

ルケーシー一家の手からはなれたウエスタンブーツの会社はラングラーからACMAブーツカンパニーへと買収され、結果ファッションも含めた巨大なカンパニーへと成長しました。

経営合理化などによりハンドメイドのウエスタンブーツの良さがなくなるんですが、ルケーシーのウエスタンブーツにはいい味も残っており、その名残からかMADE IN TEXASのロゴが入っているようです。

もうルケーシーウエスタンブーツの伝統と品質へのプライドでしょう。



おまけ

メンズウエスタンブーツなんですけど、こんな感じのウエスタンブーツならパンツに合いますね

案外メンズのウエスタンブーツって少ないですよね。

レディースのウエスタンブーツは沢山あるのに、、、

まぁ個人的にはメンズならエンジニアブーツ、レディースならウエスタンブーツがぴったりマッチでしょうね!

ジャスティンのウエスタンブーツ

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ウエスタンブーツの有名ブランド、ジャスティンについて語っていきましょう。

ジャスティンといえば、ウエスタンブーツを愛用している人には当たり前のブーツメーカーでもありますね。

ですが、そんなジャスティンのウエスタンブーツの歴史を知らない人も居るんじゃないでしょうか。


ジャスティンのウエスタンブーツ


☆ジャスティンのウエスタンブーツの歴史☆
1879年H.J.Justinによって創設されたウエスタンブーツ超老舗USAブランド。

1981年にはNOCONAノコナブーツ、1984年にはチペワブーツを吸収。

1990年にはトニーラマを吸収し、現在ではウエスタンブーツの最大手ブランドとして君臨しています。


さて、ウエスタンブーツとは、どこから生まれたのか。

ウエスタンは主にアメリカの西部ってのは誰だって分かるかな(だろ!

そんなだだっぴろいアメリカのテキサス州が発祥の地とされています。

そして、その有名なウエスタンブーツのメーカーはほどんどテキサス州に集中してたのはしってるだろうか。(テキサス州だけで日本の面積の3倍はあるらしいけどね汗)


歴史
1879年、創業者のジョージャスティンは放浪の旅に出て、スパニッシュフォートと街にたどり着きます。

そして、ブーツ作りを近くの店で学び、センスがよく直ぐに、ジャスティン作の始めてのブーツが出来上がります。

この事で自信を得たジャスティンは直ぐに自分のブーツショップを開業したようです。

北部テキサス州のスパニッシュフォートは、牧畜が盛んで、そのお陰かジャスティンの初めての客は牧場で働くカウボーイだったようです。

そして、このブーツ製作の注文での35ドルが、現在のウエスタンブーツの老舗、ジャスティンを繁栄させる原点となったのです。


ジャスティンのウエスタンブーツが出来たのは1880年代後半あたりでしょうか。

こんな時代に、しかもウエスタンに電話なんて通っているんでしょうか。

このころのウエスタンブーツの購入方法は、一度店に行って、足の寸法を測ってからブーツ作りに取り掛かるので、100%フルオーダーだったようです。

しかし、ジャスティンのウエスタンブーツはここでは終わりません。

奥さんのアニーアレンがウエスタンブーツの手伝いをしてたある夜に、「来店しなくてもマニュアルとオーダーシートを送付したら来店する手間省けるじゃん」。

そして、手書きの手紙とオーダーシートをいろんな農場へ送付し、コレが一気にヒットしてジャスティンのウエスタンブーツは有名になったのです。


1900年代後半、ジャスティンの二人息子がウエスタンブーツ作りを手伝い始め、この二人の息子を連れ、ウエスタンブーツの宣伝にとメキシコへ旅行に出ます。

その苦労も実り、ウエスタンブーツのジャスティンは、アメリカだけでなく、ブラジル、メキシコ、南米、大海を越えオーストラリアまでにもジャスティン、ウエスタンブーツの知名度がいきわたったのです。

そして、16年、ジャスティンは健康を害して、息子に事業を譲り、18年にこの世をさりました。

ジャスティンのウエスタンブーツの事業を引き継いだ息子たちは、事業拡大のため都会へ進出。

その時に、妹のエニッドはノコナという街に残り、ここでウエスタンブーツのノコナというブランドを立ち上げたようです。

まさにブーツ作りの家系ですね(笑


そして、1991年、ウエスタンブーツの歴史から言ったら最近と言ってもいいでしょう。

この年に、トニーラマもジャスティンのウエスタンブーツの傘下に入り、ブーツメーカーのリーダーシップを取っています。


ジャスティンのウエスタンブーツは、今から100年近く前に上げた35ドルという利益から生まれたと言えるでしょう。

そして、ウエスタンブーツの老舗として現在も名を馳せています。


おまけ

キャップなんてのもありました。案外カジュアルでいいかも
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